鴻窯会賛助会員、(有)島岡製陶所社長、

島岡達三氏(人間国宝)ご逝去

 

 我が鴻窯会の長年の賛助会員であります(有)島岡製陶所の社長で且つ人間国宝でもあります島岡達三氏が、平成19年12月11日に宇都宮市内の病院で88歳の生涯を閉じられました。

氏は栃木県益子の陶芸家で、1996年に国指定の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました方で、縄文象嵌技法を確立された陶芸会の巨匠であります。鴻窯会の賛助会員として長年に亘りご支援を賜っておりますので、氏の生前を偲び、以下に略歴、功績、縄文象嵌技法の概要等をご紹介させていただきたいと思います。

先ずは簡単な経歴を記述致します。  

1919年 東京都にお生まれになる

1941年 東京工業大学窯業科卒業

1946年 浜田庄司氏(初代人間国宝)に師事
1954年 栃木県益子町に築窯し独立

1962年 日本民藝館賞受賞

1980,年 栃木県文化功労賞受賞

1994年 日本陶磁器協会金賞受賞

1996年 国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)

に認定される

情報によりますと、容体が急変しましたのは12月11日午後の宇都宮市内の病院ですが、当日は東京銀座の百貨店で開かれておりましたご自身の個展の最終日だったとの事です。

「盛会に終わりました」というお弟子さんのご報告を病床で受けられ、安心されたのか、力尽きるように88歳の生涯を終えられたそうです。

氏は上記のように若くして初代人間国宝の浜田庄司氏に師事され、浜田氏の民芸陶器の精神を継承されると共に、ご尊父の組紐の仕事を活かされた「縄文象嵌」という独特の技法を確立され、遂に島岡達三の世界を確立されました。

その技法とは、陶器の表面に組紐で模様をつけて、そこに白い土を埋め込み、乾燥させた後に表面を削るという独特の技法で、これが1996年に民芸陶器「縄文象嵌」

として人間国宝に認定されました。

益子の土を用いた縄文象嵌の流し掛け、赤絵、辰砂、塩釉、地釉、窯変などの独自の作風を築かれ、浜田庄司氏亡き後の益子の陶芸界を牽引されると共に、後進の育成にもご尽力されたと聞いております。

ここに氏のご逝去を惜しみながら、心からご冥福をお祈りし、併せて鴻窯会の会員の皆様方に島岡達三氏の素晴らしいご経歴の一端を披露させて頂きます。

                                平成19年12月19日

             鴻窯会々長 小林 隆 記